立ち上げ前
小学生時代、私はゲーム少年でありました。ずっとファミコンやスーパーファミコンなど、任天堂ハードで名だたる名作に触れていました。名作の音楽に触れ、ゲーム音楽を口ずさむような人でした。
そして、伝統的な音楽教室にて、ヴァイオリンを習っている人でもありました。
しかしながら、学校生活・家庭生活ともに良いものではありませんでした。
私自身の発達障害の特性もあり、当時は認知もされていない時代であり、また家族・学校内との関係性も悪く、どこかで孤独を感じながら生活していました。
勉強自体は周囲からの圧力の中でもそこそこにできましたが、受験後はほぼバーンアウトしてしまい、学習に対する意欲が無くなってしまいました。
一方で、「こどもの城」という大型の東京都運営の児童館に不定期で通っておりました(現在は閉鎖)。
学校や学童のみでは経験できない、壁一面に絵を描ける「造形スタジオ」や音楽スタジオ、コンピュータールームなどが一つになった施設の壮大さ、多種多様なワークショップの面白さに、当時から少なからず影響を受けていたと思います。
クラシック音楽を学ぶ一方、一般の大学に入学して教職を目指していました。
その中で、作曲家、野村誠さんとHugh Nankivellさんの即興演奏のワークショップと出会い「こんなにも自由で、他者を受け入れる表現の場づくりができるのか」と感銘を受け、地域教育・市民教育としてのワークショップの企画者を目指すようになりました。
障害の有無や、一人一人の背景に関係なく、あまねく人を受け入れて場を作り出すことー分断された人々が、この場だけでは表現をシェアし、また受け入れ合う。そうした場こそ、今の日本に必要なのではないかと当時の私は強く考えました。
その後、医療関係の仕事につきながら、児童館、地域イベント、福祉施設、発達障害者向け学習支援業などの中で音楽ワークショップを企画し、また多くの方の音楽やダンス、地域づくりのためのワークショップを受講し、経験としました。
クラウドファンディングにより、教室の立ち上げ
その後、妻のベーカリーと場所を共有して場所を作ることとなります。
コンセプトは「どのような立場のある方も、ここではお互いを受け入れ合い、カジュアルに話すことができる」アトリエ兼ベーカリーカフェ。
多くの方のご支援を受けて、立ち上げに至りました。
改めて、この場を借りてお礼申し上げます。
立ち上げた後のこと
立ち上げ後、さまざまな方がアトリエを訪れてくれました。
当時小学生だった兄弟写真家「カンタとタケル」もその中におります。彼らと出会い、本人とご家族の活動スタンスに心を惹かれ、
「学校では発表する機会がないものを発表する機会をここで作ることは、二人だけではなく、どのような10代以下・20代の人にとってもプラスになる」
と考え、彼らに展示を依頼しました。
そうして出来上がったのは、音工房〇での展示「碧のあそび」です。
学校外での活動の重要性や尊さを改めて認識し、
「習い事や塾以外の手段で、子どもたちが創作を通じて学びを深め、地域と連携して作品発表を行い、子どもたちとその支援者の居場所を拡大する」
ことを目的として活動を拡大することを、より中心のコンセプトとして固めるに至りました。
その後、2024年にAbleton AG Japanより機材のレンタルの承認を受け、Ableton for Classroomの申請を行い、音工房〇内でも、出張ワークショップでもAbleton Liveのワークショップやクラスができるようになりました。
さらに「さわやか福祉財団」の「助け合い基金」に2024年採択され、非営利の活動にも幅を持たせることができるようになりました。
活動の中で、私自身もほぐされていき、発達障害という自身の特性については、ほぼ問題なく乗りこなせる状態にまで安定しました。
しがらみのあった親とも、気づけば和解し、一人の人間同士として話ができるようになっていました。
音工房〇のミッション
音工房〇のミッションは
・新しい教育価値の創造(STEAM教育など)
・自ら考え、判断し、楽しみ、行動する未来ある人々の教育の提供
であるとともに、
・教育機会をあまねく提供すること
・教育機会を健全に受けることが困難な人にも提供を行う(不登校、発達障害、ADHD、グレーゾーン、感覚過敏、ダブルケア、ヤングケアラー、貧困者など)
でもあります。
2029年までには、地域と連携して
「多様な活動に携わっている方が連携した、ある程度の利益を還元できる、
合同会社よりもう少しゆるめの地域教育機関のコミュニティ」
かつ、
「公教育に携わる方と連携した、お互い支え合い、知識をシェアし、
メンタルに関してもケアをある程度行える教育コミュニティの形成」
を目的として活動してまいります。